よいちの趣味&気ままな暮らし

このサイトは私の気が赴くまま、あれやこれやを適当にUPしてる記録置場でございます


生活全般-ライフスタイル


避寒について

ここのところ寒い日が続いているけど、今朝は遂にというか雪が積もっていた

正直なところ寒いと身体への負担が大きい

今年は1月上旬から2月上旬にかけて常夏のタイで過ごしたけども今年の日本の冬は2月が本番だったようです

とにかく寒いから部屋でストーブ焚いてじっとしているしかない

足元が冷える傾向があるのでコタツの導入もありかも知れない

避寒の期間を考えると1月から2月迄の2ヵ月間を見ておいたほうが良い感じです

海外で過ごすとなると60万位は掛かるかな

沖縄だとどれくらいだろう?

宿泊代如何だけど...

他には暖かい所に行く代わりにその費用60万で家で暖かく快適に過ごす方法を考えてみるとか

今後歳を重ねると海外に出るのも困難になってくるから色々と考えてみるのも良さそう

Posted on 24/Feb/2025


ジイの生き方

生き方 Version 1.0

つましい暮らしであれば幸い労働をしなくてもやっていけるので特にやらなければならない事はない

嫌な事、面倒な事はもうしなくて良いし、する必要もないという

時代に合わせて新しいことを知ったり使いこなしたりするのも大切だけど、使える心身のリソースは年齢とともに減衰していくのでほどほどに

逆に変わらないものや知識も重要

古典に親しむとかの世界が年寄りには合ってるのかもしれない

静寂と穏やかさの中でゆったり人生を楽しむみたいな部分を核にして新しいことにもチャレンジするといったバランス感覚

不要なものを徐々に捨てていって身軽になるのも大事

そうした諸々のベースになるのが一定程度の健康で、ここを確保する為に努力するのが老人の仕事みたいなものかも

未だ旅の途中です

Posted on 16/Feb/2025

参考情報

お好み焼き食いながら見てた週刊ポストだかの雑誌に「じじいはこう生きろ」みたいな面白い記事があった

・ベースというか幹となるのは"好き勝手に生きる"というのがポイント

その他、箇条書きにすると

・過度というか不必要に節約しない

→ 節約モードで長年生活してると習い性になってしまって先が短くなっても頭の切り替えが中々できないという問題

・安物を買わない

→ これも節約モードの弊害と言える

・投資とかポイ活とかは程ほどにするか、言ってしまえばもういいんじゃねぇってこと

→ 蓄財ステージを終えた50代・60代以降は本来健康や時間こそが最重要なのに、ポイ活に時間を取られるのは要注意だよね

・お金の掛かる趣味であっても止めない

→ Die with Zero 路線もあるし満足感が得られるなら相応の対価を払うべきでしょうな

・確か他者評価視点ではなく自己評価視点で生きる

→ 現役を退けば他者評価なんぞはどうでもいいですね、まぁ非常識でなければ

・生前整理などはしなくてもいんじゃねぇ?

→ 無理にすることはないけど自分はスッキリして気分が良くなるのでやっていきたい

・異性への興味を忘れるな(みたいな

→ 谷崎潤一郎とか川端康成の作品みたくやっていくか(笑

・あんま歳を意識するな(みたいなのもあった

→ 歳は意識するが、し過ぎて不自由になるのは避けたいね

他にも色々あったと思うけどパッと思い出せるのはこんなところ

記事の底流となっているのは、何でもいいから楽しく生きろってスタンスだったかな

それと、お金残して死んでもしゃーないよというのもポイントにあった、元気な内に使って楽しめっていうの

内容的には概ね賛同できるものだったかな

Posted on 14/Mar/2025


還暦になって

還暦=60歳で人生一区切りで寿命が短かった昔なら還暦祝いとかあってめでたいとされる一方、数えで61歳=厄年(本厄)でもありますね

元々そうした縁起とかは気にしない人生でしたが60歳で怪我をして人生初の入院とプレートを入れる手術を行い61歳でプレートを除去する手術を実施

手術が終わってヤレヤレと思っていたら今度は自律神経失調症様の体調超不良に落ちいって暫く難儀するという経験をしました

この間は運動らしい運動を控えていたので体力も落ちたように感じるし老け込んだようにも思います

怪我の件はもう少し打ちどころが悪ければ最悪死んでいたかも知れ無いし、生きてても脳障害が残ったかも知れず、そこまでには至らなかったというのは考えようによっては不幸中の幸いだったのかも知れない

怪我や病気の件がなかったとしてもそれ以前には無かった視力や体力、意欲の低下・疲れやすさ等を実感していますから個人差は大きいと推察しながらも、60代になってガクッと来るというのを実感しているところです

以前は緩やかな放物線のようなカーブを描いて徐々に体力が低下するようなイメージでしたが、ある時急に垂直に落ちるような感じでガクっときましたね

若いころは若いころなりの悩みなんかがありましたが、歳をとってからのほうが人生(生きること)は難しいような気もしております

自立して生活できているうちはいいですが、誰かのサポートなしには生きられない状態とかは考えたくない感じです

当面は、健康維持に向けた活動などやれる事をやるのみですけども

Posted on 13/Feb/2025


死生観

※信心のある人にはちょっとアレな内容になっておりますので、悪しからずです

信心がない人間なので死後の世界は一応「無い」かなというスタンスですが、正直なところ良く分かりません

宗教が教えるような浄土・天国に地獄みたいなものは単なる人間の創作(か願望)という認識でおります

私は自分(人間)が存在している事自体を説明できない位ですから、その先の死後があるかどうかも当然分かりません

肉体とは別の霊性のようなものが死後も存在するとしても、肉体のような形が無いのであれば個性は無くなるか・希薄になるのではないか?とは思っています

外形が差異の大部分を成しているという考えからです

結局のところ、死んでみないと分からないことを生きている時に考えても時間の無駄だろうというのが自分の現在地点です

そういう事を考えるのが楽しいという人もいるだろうから、そういう人には有益な時間かもですが

因みに死後(あの世)がない場合は、死んでも死後があるかどうは認識することなく消滅しますし、仮に死後があっても自分の意識と連続するような個的霊性が残らないと死後を意識できないかもですね

また輪廻などは、ますますどうでも良いのですね

仮に輪廻があるとしても私は前世が何かなんて覚えてもいないから今世への関係がないですから

生への執着が強い人が自分が死により消滅するのは嫌だ、輪廻でまた生まれ変わるんだという願望があってもおかしくは無さそうだし、それを批判する必要もないですけども

命ある内は前向きに生きて行く積りですが、死は不完全な自分からの解放・救済という側面もあると思うのでそんなに悪いものでは無いという感じではおります

逆に言うと不老不死なんてことになったらそれはそれで生き地獄なんじゃないのか?と思ったりしています

Posted on 13/Feb/2025


身寄りのいない死者のその後

身寄りはいるには居るが、高齢化が進めば何もできなくなる蓋然性はそれなりにあって、結果的に身寄りがいないのと同じ状況になることは十分に考えられる...

孤独死した場合で後始末をしてくれる人がいない場合、事後処理はどうなるのか?

身寄りのない人が亡くなった場合は、行政が戸籍などをたどって親族を探し、葬儀や埋葬を依頼します。親族がいない場合や親族が遺体の引き取りを拒否した場合は、自治体が火葬や埋葬を行います。

という事らしい

流石に社会(行政)も死体を放置する訳にもいかず荼毘にふしてくれるようだし遺骨を産廃として廃棄するという事もしないようだ

人間の尊厳とか言い出すととたんに胡散臭くなるけど、けっこうちゃんとしてくれますな(笑

一応は人間らしく扱って貰える模様

そうなると、埋葬より死んでから発見されるまでのタイムラグを気にした方が良い感じだ

冬場でもあまり持たないようで夏場なら1日とか2日で腐敗が進行して迷惑を掛けることになるのが気になるところだ

対策は生存チェックサービスみたいなのに加入して早期に発見してもらうとかかな

死後は自分では絶望的に何もできないのがつらいところだね

Posted on 31/Mar/2025


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