よいちの趣味&気ままな暮らし

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白村江の戦いは大和王朝ではなく九州王朝か

以下の考察は素人ゆえに非常に無責任なメモになっている蓋然性が高いかも(笑

通説では大和王朝が兵を送って戦ったという事になっているが、これは本当なのか?

疑念を喚起するポイントが存在する

・戦後唐の使節が進駐して来たのは大宰府であり、筑紫都督府が設置された点

大和朝廷が戦ったのであれば戦勝国の唐の使節が近畿へ進駐しないのはどう見ても変である

太平洋(日米)戦争で敗戦後に米国の進駐軍が沖縄かどこかで留まって首都の東京に来なかったなんてあり得ただろうか?

大宰府に進駐したのはそこが首都だった考えるほうが至極自然だ

都督府(ととくふ)とは、主に中国の歴史において、地方の軍事や行政を統括するために設置された役所(官庁)のことで、唐代の辺境統治機関とされるから、筑紫都督府は唐の統治機関と見るのが妥当かと

・白村江戦の敗戦で唐の捕虜となった筑紫君薩夜麻が首長とされた点

旧唐書に唐の戦勝パレードに敵国の酋長(大物)として「筑紫君薩夜麻」参列した話が残っている

この人物は名前からして九州地域の要人であるし、筑紫都督府の統監として帰国している

都督府のトップという立場はある意味で敗戦国で一番偉い人の立場である

大和が唐と戦ったというのなら、この人の配下(下部)に大和朝廷はいたのか?という話になる

そもそも当時の戦争に関わる価値観に照らしても、また勇ましいのが大好きな大和王朝の要人が自ら指揮を取って遣りあってないと正当な日本の支配者として面目が絶たないんじゃないのという話もある

・戦後、大和朝廷が防衛施設等を大幅に増強した点

大敗を喫した敗戦国が戦後すぐに国防を増強するという話のリアリティの無さが凄まじい

太平洋戦争で敗戦した日本が敗戦後ほどなく国防を増強するような状況にあっただろうか?

それどころか軍隊を解体された訳だが...

国防を増強するのは開戦前であって戦争後ではないのは子供でも分かる話だ

九州王朝がこっぴどくやられるのを見て、傍観していた大和王朝はこれはヤバイと国防の充実を計ったというのが実相ではなかったかと想像する

反論ポイント:白村江の戦いは本土外の戦いという局地戦であるため国力の多くは温存されており防衛拠点の構築は十分に可能であったと考える事は可能

・考察の前提

記紀があるじゃないか!?といっても記紀こそが勝者の歴史なので、万世一系を奉ずる大和王朝に都合の悪い話は無視か歪曲なので全く当てにできないという問題がある

記紀以外の歴史書は多くが散逸したり焚書されているから史書から当時の事情を再構築するのはほぼ不可能である

Posted on 26/May/2026


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