このサイトは私の気が赴くまま、あれやこれやを適当にUPしてる記録置場でございます
どんな生活だったのか? というのも大雑把な話であるがまぁ適当に続けて行く
現代社会とは違っていい意味で適当な時代なので、自由度の高い暮らしがあったようだ
今のフリーターみたいな感じでお金が無くなったら働いて、余裕が出来ればプー太郎生活を謳歌する的な感じだ(多分
金がなくなると、棒手振り(ぼてふり)で移動販売で日銭を稼いだり、手紙の代筆をしたり、持槍(もちやり)人足で参勤交代の大名行列で槍をも持って歩くエキストラなんかもあったらしい
コミュ症だとキツそうだが、ネアカな無職なら問題のない感じか
1. 部屋の広さ:驚異の「九尺二間(くしゃくにけん)」
間口が九尺(約2.7m)で奥行きが二間(約3.6m)とかで入り口に1畳分ほどの土間(台所)があり、その奥に4畳半の畳部屋があるだけのかなりコンパクトな住空間だ
2. 家賃:現代の「サブスク」並みの手軽さで相場は月に400〜600文程度で現代の貨幣価値に直すと約1万円〜1万5千円らしいのでこれは安くてよろしい
日雇いバイトを数日頑張れば十分に払える金額なので「定職を持たず、趣味に生きる」というライフスタイルが可能だった模様
個人的に江戸と言えば風鈴と金魚を連想する
江戸中期以降に長崎からガラス(ビードロ)の製法が伝わると、それまでの金属製(鉄や銅)に代わってガラス製の風鈴が爆発的に普及
湿度の高い日本の夏に、あの「チリン」という高周波で乾いた音を鳴らすことで体感温度を下げる「音響心理学的な冷却デバイス」として機能
ガラス自体の質感が視覚的涼しさをもたらすのもポイント
金魚は江戸初期には超高級品だったけども中期以降に養殖技術が進むと一気に身近な存在になったとか
モバイル水槽: 現代のデスクトップPCのサイドパネルから中身を眺めるように江戸っ子は「金魚玉(きんぎょだま)」と呼ばれるガラスの球体に金魚を入れ、軒先に吊るして眺めたそうな
金魚売りが「きんぎょー、えー、きんぎょ」という独特の呼び声とともに、天秤棒で金魚を担いで売りに来る日常があった
長屋の住人はその日の気分で一匹買って手近な鉢に入れて楽しんだとさ
人口が多く集住してる都市だった筈だけども長屋の軒先には緑が飾られてて、緑があふれる町だった模様
風鈴、金魚、緑...想像しただけでも風情がありますな
暮らしの知恵:家具を持たない
4畳半に男一人が住むようなケースだと、徹底的に「空間の多目的化」を工夫した模様
布団は畳んで隅に置き、食事の時は「箱膳」を出し、寝る時はそれを片付ける
壁の活用: 唯一の趣味である浮世絵を壁に貼り、お気に入りの道具(煙管や印籠)を柱に掛けると言った塩梅
引っ越しの時に荷物になるのは布団くらいかな、現代人から見れば相当なミニマリストだね
銀行がない時代というのも不便だが、時代の要請相応だから必要のない時代だったと言えそうだ
代わりに質屋がその機能を代替していたそうな
てか質屋を利用したことがないので良く分からんが、現物預金みたいな感じかな
半年から1年くらいの期限前に利子を払えばまた保管してくれる
しかし、預金とはやっぱ違うね、現物を預けてお金を受け取るなら、それは預金ではなく融資だなー
因みに江戸の庶民にとって着物や高級な小道具(印籠・煙管・根付)は単なる消耗品ではなく「換金性の高い資産」だったらしいので お金が余った時に良い着物を誂えておけば、いざという時に質屋に入れて即座に現金化できるので現物に換えておくというのはあったかも
宵越しの銭は持たないっていうから、まぁ銀行は要らんかったんだろう
これぞdie with zeroですわ
時間の間隔(と感覚)も今とは随分違ってたようだ
庶民は高価でデカい時計は所有せず、寺院の鐘(時の鐘)の音で時刻を把握してたいうからのどかな時代ではある
当時は不定時法とかで1時間が常に60分ではなくて、「日の出」と「日の入り」の間を6等分するという、太陽の動きに合わせた自然な時間認識をしていた
具体的には日の出(明け六つ)と日没(暮れ六つ)を基準にして以下の通り
| 名称 | 日出(明け六つ) | 日没(暮れ六つ) |
| 九つ(ここのつ) | 深夜0時 | 正午12時 |
| 八つ(やつ) | 午前2時 | 午後2時 |
| 七つ(ななつ) | 午前4時 | 午後4時 |
| 六つ(むつ) | 午前6時(明け) | 午後6時(暮れ) |
| 五つ(いつつ) | 午前8時 | 午後8時 |
| 四つ(よつ) | 午前10時 | 午後10時 |
夏の1時間が長く冬は短い、明るい時間は活動し、暗くなったら寝るという自然のバイオリズムに従った生活スタイルだね
と言いつつ江戸も中期に入ると菜種油の普及で庶民も灯をとれるようになり夜更かしができるようになる
自炊する場合はシンプルな一汁一菜が基本で、江戸っ子は玄米ではなく精米された白米を食した。一日に4合(約600g)もの白米を食べたりしてった言うから白米信仰みたいなのがあったんかな
白米を食わずんば江戸っ子にあらずみたいな...
おかずは「味噌汁」と「漬物」に具材は棒手振りが朝に売りに来る「しじみ、あさり、納豆、豆腐、大根」などが定番だったらしい
煮干しや干し椎茸で出汁を取り、塩分強めの味噌で仕立てました
ちゃぶ台ではなくて箱膳(はこぜん)という 自分の食器一式が入った箱の蓋を膳にして、畳に座って食したらしい
現代人の感覚からするとご飯食い杉ってのはあるけど、合成保存料とか着色料などの添加物がないだろうからヘルシーで美味かったんじゃないかと想像する
江戸っ子が親しんだファースト・フードの寿司、天ぷら、蕎麦なんかも今では高級な食べ物で常食できるようなもんじゃないのが時代ですな
中期以降は行燈の普及で江戸のオタクは夜も趣味に走れて、夜でも読書(貸本(当時のサブスク))なんかも読めるので色々捗ったようだ
ただ行燈(菜種油)のランニングコストは結構なもので一晩で蕎麦一杯分くらいしたとか何とか
夜活はともかく当時は歌舞伎が大人気で好きな役者の浮世絵を収集して飾ったり、推しの役者が訪れるお店を聖地巡礼したりとやってることは現代の人間と似たような感じだ
また浅草や上野の茶屋で働く美少女は、江戸中の有名人だったらしく、一目見るために茶屋に通ったりして初期のAKIBA48みたく実際に会えるアイドルみたいな感じかな
追っかけというか推し活というか
連とかいうファンコミュニティもあって、ハンドルネーム(雅号)を使い身分を隠して、推しを同じくする者がグッズを見せ合ったり談議に花を咲かせたというから結構充実したファン活動ができたみたいだ
(1) 鈴虫や松虫の「鳴き声」をより美しく響かせるための虫かごの作成...虫かごによって音響が変わるのか不思議だが...ホーン型式とか流石にないだろうし...どうなの
(2) 朝顔の品種改良...どうやってやんのか想像が付かないんだが...
(3) 根付・印籠の「紐(ひも)」や「緒締(おじめ)」のカスタマイズ...紐を変えたり染め直したりという話
根付を自分で彫ったりするのあったようだけど、まぁこれはフィギュアを自作すりょうな感じかな
寺子屋は読み書きそろばんなんかを教えていたというのは聞く話だったけど、公的支援のないある意味私立の教育施設なんだけど、そんな無手勝手なものが広く普及してまるで規格化された教育施設のように聞こえてくるのが不思議だった
そうなんだけど、私塾みたく良い塾には人が集まる的な競争原理が働くことで一定以上の水準を保っていないと続かない事で良い意味での水準化(規格化)が達成されたっぽい
先生も多彩で引退した武士やら僧侶やら町の知識人など多彩で給料なんてあってないようなもんだからボランティアみたいなもんだったようだ
子供も身分がどうとかはなく、ちゃんと勉強する子が一目置かれるといういい意味での公平さと評価基準があったようで喜ばしいね
今の学校の生徒と先生の関係というより、弟子と師匠みたいな関係性だったといのも面白い
カリキュラムは一般教養主体ではなく専門学校とか職業訓練所的な色合いが強かった感じらしい
なので先生のラインナップには引退した番頭さんや、名主さん、職人さんも名を連ねていた
明治以降の急速な近代化を支えたのもこうした土壌あってのことだろうね